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ロヒンギャ難民100万人の衝撃ベトナム旧日本軍の家族を考える―小松みゆき著『動きだした時計』を読んで(自由法曹団通信 2020年8月1日 1712号掲載) 

【書評】

 小松みゆきさんは、東京合同法律事務所に一九七四年から約一〇年間在職した元事務局員。彼女は京橋の旅館に住み込みながら夜間高校に通い、その後労働旬報社に勤務。その縁で近くの合同法律に入所。合同法律と自由法曹団とがひとつの建物に同居していた時代。その後ハノイの日本語学校教師で赴任していた彼女は、雪深い郷里(新潟)から認知症の実母を引き取った。九四歳迄の一三年間の実母との悲喜こもごもの生活奮闘記を本にした。それが「ベトナムの風に吹かれて」(大森一樹監督・松阪慶子主演)の映画となり、NHKのドキュメントにもなった。「ラジオ深夜便」でハノイ通信員として時に声が流れたりした。団員にも彼女の知友は少なくないが、今やベトナムでは有名人だ。

 その小松さんがベトナム残留旧日本兵とその家族をテーマに纏めたのが標記の本。副題は「ベトナム残留日本兵とその家族」である。二〇一七年三月ベトナムを訪問した平成天皇夫妻と残留日本兵家族との面会がマスコミでも報道された。私もこの報道で甲斐甲斐しくベトナムの家族たちに寄り添う彼女の行動を見たが、この本で残留日本兵の宿命的な行路とその家族の心情、戦争の悲劇を改めて考えた。

 「大東亜戦争」は悲惨な敗残兵を大量に生んだが、ベトナム現地で武装解除されたなかにホーチミン率いるベトミン(ベトナム独立同盟会)に加わった旧日本軍の将兵がいた。インドシナ戦争(対仏)の本格化に沿って軍事的な経験と技術の不十分であったベトミン側は、軍事訓練や実践指導に旧日本兵を重用した。この本で解説を書いた白石昌也氏(もと早大教授)によれば、後年、旧日本兵の「教え子の中から一九六〇年代のベトナム戦争期に優秀な指揮官として活躍する人材が輩出した」と記している(ボー・グエン・ザップもそう評価しているらしい)。多くは独身であった旧日本兵は、ベトナム独立のため献身して軍務に従事する。そして現地でベトナム女性と結婚し子どもをもうけ平穏な家族生活を築く。インドシナ戦争後に中国の支援がベトナムにさらに深く浸透するに伴い、旧日本兵の「任務」は「日本国の発展とベトナムとの友好」に次第に変化する。冷戦の勝利という新しい任務を帯びた旧日本兵は日本への帰国を半ば強制され、妻子をベトナムに置いたまま中国経由で舞鶴に帰港する。時は一九五四年末、わが国で五五年体制ができる直前。その後の歴史は、旧日本兵は再びベトナムに戻ることなく、別れ際に妻に帰るとの誓いを果たすことなく過ぎていった。

 「私ノ父ハ日本人デス」。三〇年前ハノイの日本語学校の教室でたどたどしい日本語で話す生徒に出会い、小松さんの旧日本兵のベトナムでの家族、国内での本人とその家族を探す旅は始まった。ベトナムのどこかに旧日本兵の家族がいると聞けば、手紙を出し足を運んで懇切に世話をやきながら話を聞く。国内の旧日本兵の情報に接すると、ベトナムから日本の片田舎まで足を運ぶ。長期間の綿密な調査と記録作りの困難な作業が続けられる。そこで明らかにされる旧日本兵および日本・ベトナムの双方の家族たちの生活史と心情は?帰還後の日本兵の人生行路は?本書はそのことを詳しく書いている。「熱戦」から「冷戦」に突き進んだ国際的激動と歴史、その狭間で漂流する社会と個人の運命。著者は、戦争による個人の悲劇に敢然と挑戦する。家族間の亀裂を黙って見ている気持ちになれない、持ち前の行動力を発揮して家族間の修復を図るべく粘り強く奔走する。そのような情熱もしくは情動がどこから出来するのだろうか。本書にはそれに答える自己言及は極力控えられている。そのことが却って本書のテーマの普遍性を与え読者にさまざまに思いをいざなう。個人の平和への希求とは、戦争責任の後代のあり方とは、ーー爽やかな読後感に包まれるとともに明日の生き方を考えさせられる。事務局員(特に女性事務局)も小松さんの生き方から有益なヒントを得られるかもしれない。

 本書には、白石氏のほかに古田元夫もと東大教授、坪井善明もと早大教授の大御所のほかに栗木誠一NHKテレビマンによる「解説」が付いていて歴史的な背景も分かりやすい。


《評》自由法曹団元団長

荒井新二

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